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私がおばあさんになっても

「ひ、ひぇぇえええ!!!???」





 
ちょっとした洗濯物気分を味わい、ようやく水から顔を出せた。久しぶりのスタツアだった。ひと月ほど何事もなく地球で過ごしていて、完全に油断しながら電気ケトルに水を入れるところだった。渦巻く波に飲み込まれ、安直なワープの構図に引き込まれたのが一瞬前。水が入って痛む鼻で咳き込むと、まだ少し水没してる鼓膜に絹をつんざくような悲鳴が突き刺さる。


「なっ……!? あなたそれは……!」


 声の主はこちとらよくご存知眞魔国在住のフォンクライスト卿ギュンターこと私の恋人で、ここはどうやら勝手知ったる血盟城の浴室。目の前にはギュンターとコンラッド。ふと隣を見れば顔見知りの高校生2人も濡れ鼠で浴槽から這い出ているところだった。


「ギュンター、久しぶり~」
「『久しぶり~』ではありません!! 、あ、あなたその御髪は……!」


 おぐし。その言葉にあー、そういえば。と自分の髪を摘む。ハイトーンのアッシュベージュ。ついでに言えばばっさりと切った。イメチェンというやつだ。周囲からは軒並み好評で自分でもお気に入りだ。


「わー、さん思い切ったね」
「たまにはねー。似合う?」
 ムラケンくんがニコニコ顔で頷く。男子高校にお世辞を言わせてしまった。
 すっかりフリーズしてしまったギュンターからバスタオルを奪い、DK2人に渡していく。いまだ呆けている有利くんに「これなら人間の国にスタツアしても大丈夫よね」と笑いかけると「た、確かに!」とブンブンと首を振った。


「で、でも大丈夫? ギュンターが……オタクのカレシさんがめちゃくちゃフリーズしてマスけど……」
「それがサロンに居る時は一切考えなかったんだよね、そういうこと」
「うわー、さんて結構そういうとこ冷たいよね」
「ムラケンくんがそれを言う?」


 双黒3人組(仲間外れだーれだ! 私!)には、人間の国にうっかりスタツアってしまった時の恐怖は記憶に新しい。有利くんの尽力で、魔族に友好的な国も増えてはいるけど、彼らにとって双黒は時に倫理や友情を超えた畏怖の存在足り得る。悲しいのはそれでも高校生ふたりは気軽に染髪できないことだ。長期休暇でもない限りは。その点大人ってのは良いものだなぁ。ヘアカラーもカラコンもある程度融通が利く。私はなるべく化粧ポーチにカラコンを入れて持ち歩いている。


 浴室を出るとメイドさんがそそくさと寄ってきて、まだ水気の多い髪にタオルをかぶせる。「そういえばさんのおかげで汁まみれにならずにすんだ!」と無邪気に喜ぶ我らが国王陛下と別れていつもの居室へ戻ると、顔見知りのメイドさんがドレスを用意して待っていた。


「お待ちしておりました、様」
「エリスさん~! 久しぶり、見て、似合う?」
「よくお似合いです」


 新しい御髪に合うドレスに致しましょう、とエリスさんがわざわざウォークインクローゼットを開いてドレスを選びなおす。私は髪を拭いてくれているメイドさんにお礼を言って離れた。この人たちったら気を抜くと上げ膳据え膳、脱衣も着衣もしようとしてくれるからありがたいけど困るのだ。下着くらい自分でつけたい。勝手知ったるエリスさん以外のメイドさんに退室してもらい、濡れて肌に貼りつくジーンズを脱ぎ捨てる。下着も黒の紐パン紐ブラにしてしまって(紐ブラ、驚く程に心もとない)ドレス用のインナーを着る。
 エリスさんチョイスのドレスに袖を通してバックリボンを結んでもらっていると、バンッ!と硬質のものが打ち付けられるけたたましい音がした。
 部屋の扉が勢いよく開けられた時の音だった。


!! わ、わわわ私を置いていくなどあんまりではありませんか!! まだ話は途中で……!」
「閣下、淑女の居室に断りなく入るなどあんまりではございませんか」


 ものすごい剣幕で入室した瞬間、エリスさんの冷ややかな声に迎えられたギュンターはグッと唇を引き結んだ。それからすぐに気を取り直し、よそ行きの落ち着いた声を絞り出す。


「それは失礼。ですがエリス、あなたの仕事を奪うようですか、そのお役目は私が引き継ぎましょう」


 極めて冷静な素振りで人払いをしたがるギュンターにエリスさんそっと私を見る。「いいよ、ありがとうエリスさん」と私が首を縦に振ると、彼女は仕方ないカップルめ、という風にうやうやしく頭を下げてから退室して行った。なんだか悪いことをしたなぁ。


 リボンを結ぶ役目を受け継いだギュンターは、私の背後に周り首元の髪をかき分けた。背中のてっぺんでサテンリボンを結んで、小さくため息をつく。


「私は時々、あなたの考えがわからなくなります」
「髪を切りたい時に切って、染めたい時に染めるの。悪い?」
「貴女がそうしたいというお気持ちであれば、私にどう止める術があるのでしょう……」


 そう言って泣き虫汁だくギュンターはぐすりと鼻を鳴らした。


「いや泣かれちゃうと私が悪いみたいになるけどさ、髪なんてまた生えてくるじゃない? ギュンターお好みの黒いのが……」
「そうは言っても、あまりにも……あまりにもご無体な……」


 さめざめと泣き続ける恋人に若干のバツの悪さを感じるけど、でも私の髪が何色であるか決める権利は私にあるのだった。
 そっと彼に向き直ると、高い鼻を赤くした恋人が形のいい眉を悩ましげに顰めている。陛下や猊下ばかりにかまっている彼が私の事で頭がいっぱいになる様は少し気分がいい。自分でも思いもよらぬ感情が湧いてきて不思議な気分だ。


「黒髪の私の方が価値がある?」


 何気なくそう問えば、彼はアメジストの瞳をぱちりと瞬かせた。長いまつ毛を濡らす涙がキラと輝いて綺麗だ。
 しばらくNow roadingをした有能なる王佐は、たちまち花が咲くようにパッと顔を明るくした。え? なに?


「あぁ、私は愛する恋人になんという質問をさせてしまったのでしょう…… 」
「は、はい?」
、私の愛が信じられずそのような行動をとるとは……なんといじましい……」
「え、いや違…」


 ん? ちがくはないのかな? 先程のしてやったりの気持ちを思い出す。そりゃあ少しは、つまらないと思ってはいたのだ。彼のいちばんは陛下、2番目は猊下。ただ黒髪黒目なだけで特別役職を持つためにスタツアった訳では無い私はあのDK2人には永遠に勝てない。彼の命は国のためと、陛下のためにあるらしい。
 そんな自分の小さな器に直面して、私は今更ながらカッと頬が熱くなった。これじゃ私まるでほんとに、子供っぽい当て付けをしたみたいじゃないか。


「ああ、。私のいとしい人。そのように試すようなことをなさらずとも……私の心はあなたのためだけに」
「そ、そうじゃなくて……もー! 話をきいて!」


 僧侶じみて禁欲的な白い服越しに胸板を叩く。優男風の見た目の割に、きちんとした軍人である彼の胸板は案外厚くてビクともしない。どころか長い腕は私の背中を抱き寄せて、ぎゅうと身体が密着した。


「愛しております、。あなたの髪と瞳を確かに美しいと感じます。ですが私を抱きしめ、口付けてくれるのはその髪や瞳ではないのです」


 それは貴女の心です。と、インターポールの刑事じみたことを言って、目の前の眉目秀麗才色兼備牛丼汁だくな男は薄く微笑んだ。長い指が私の前髪を少し払って、額に柔らかな唇が触れる。


「私がしわしわのおばあちゃんになっても、こんなふうに口付けてくれるの?」
「そうなれば私は貴女の美しい白い髪に映える黒い髪飾りを贈りましょう。ですから飾り立てる栄誉は、どうか私に下さいませ」


そうなったら私は彼とおそろいの──あるいは三丁目のタバコ屋のおばあちゃんとおそろいの──少し紫がかった灰のような白髪にしてあげてもいいなぁと、唇同士がくっつく心地いい柔らかさを感じながら、ぼんやりとそう思ったのだった。